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暴力の世界の子供たち~児童虐待の歴史~
- 2014/10/09(Thu) -
子ども虐待研究の一環として公開します。フラッシュ・バッグを起こす恐れがありますので、当事者の方の閲覧は勧めません。子ども虐待研究のための一資料としてご活用ください。

暴力の世界の子供たち~児童虐待の歴史~

 Samuel X Radbill著 高橋のぞみ訳

子供たちに対する暴力は、想像できる限りのあらゆる方法となって現れた。つまり、肉体的、精神的、徹底的な無視、性的な搾取(性奴隷)、そして(強制的な)児童労働である。1895年、子どもに対する残酷な行為の防止協会が、ロンドンの子どもたちが受けた暴力の、さまざまな方法を要約した。それらの方法とは、靴、瀬戸物、なべ、シャベル、皮ひも、ロープ、ひも、火かき棒、火、そして熱湯であった。彼らは、放置された哀れな子どもたちの状況を説明した。彼らは、虫に寄生され、不潔で、体が震えていて、みすぼらしく、ほとんど裸で、顔が青白く、元気がなく、弱々しく、活気がなく、ふらふらしていて、空腹で、そして瀕死の状態にある。子どもたちは、青白く、やつれ、そしてひどくせき込む、といった原因で、乞食に出された。つまり子どもたちは、ブラブラしている飲んだくれや浮浪者の支配のもとで生きているのである。また幼女たちは、性的虐待の犠牲者となっている。子どもたちは、サーカス小屋での不正な使役のために、幼い奴隷となっており、巡回興行では怪物のように展示され、そしてその他のさまざまな方法によって、子どもたちは私的利用されている。
 今でも虐待は、信じられない方法で行われている。ある母親は最近、一人の少女が少なくとも、7つの病院での入院治療を必要とする深刻な感染症に繰り返し感染している、という事態の一方で、2年の間にそれぞれの病院の内科医たちを困惑させている。彼女の母親は、大便の細菌をその子に頻繁に注射をしながらも、医者に指示された抗生物質の投与はしなかった。なぜなら、彼女は病院の持つ魔力の一部になりたいという一つの不可解な欲望を持っていたからである(代理によるミュンヒハウゼン症候群の一種)。

生きるための権利

古代の時代、「力は正義なり」であった頃、幼児は生きるための権利が儀式によって与えられるまで、公平な扱いを受けることはなかった。その時まで、ずっと幼児は存在しないものであって、堕ろされた胎児と同様に、ほとんど罪の意識もなく始末されていた。新生児は、父親によって存在が認められていた。つまり父親が生み出すものは、父親のものであり、父親が望んだときに行われていた。父親のものとして宣言された子どもは、人生と福祉だけでなく、権利の所有も保障された。子どもたちの権利は、常に親の立場の特権であった。一家の長として父親は、母親でさえも従属する最大の権限を持っていた。
 ある例では、母親が多少のこの世の食べ物を食べ終わるまでは、子どもはこの世界に実在するものではなかった。ほんの少しのミルクやハチミツ、あるいは水でさえも、新生児の生命を保障できた。8世紀のある話では、嫁がたくさんの娘を抱えていたことに憤慨したある祖母が、二番目の娘を殺害するよう命じたことを伝えている。彼女の召し使いは女の子が産まれるとすぐに、その子が母親の乳房に置かれるより前にさらい、そしてバケツの水の中で溺死させようとした。一人の情け深い近所の人は、しかしながら、その子を助け、そして少しのハチミツを口に入れて、急いで飲み込ませた。その子どもは、このように保護され、生きるための権利を保障された。英領ニューギニアでは伝統的に、一人の幼児が川沿いの地に連れて行かれ、その口を水でぬらされた。もしも赤ん坊がその水を進んで受け入れなければ、その子は捨てられた。
 生きるための適性を決定するために、ドイツ人はよく凍った川の中へ新生児を投げ込んでいた。これは、その子どもを鍛えるだけでなくまた、忍耐力のテストをするために行われた。ある北アメリカインディアンは、その新生児を水たまりの中へ投げ入れ、そしてもしもその子が水面に浮かび上がって泣いたならば、それだけでその子を助けた。他の場所には他の生き残るための厳しい試練があった。 
 ソシエテ諸島では、両親は1日生き残った子どもを殺すととがめられた。いくつかの地域では、子どもは30分間生存することでさえも安全を保障された。
 子どもはいくつかの社会では、名前をつけられるまでは存在しないものとして見なされていた。それは、個体を見分けることである。キリスト教徒の子どもは、洗礼を施してキリスト教徒になるまでは名前を与えられることはなく、天からの承認を得ることもできなかった。洗礼の前に死んだ子どもの魂は天国へ行けないと信じられ、永遠に続く地獄の辺土へ行くことが運命づけられていた。そのような子どもの死体は霊地に葬られることはなく、代わりに死んだ犬や猫と同じような方法で始末された。
 私生児たちは長い間、法律の保護の対象にされず、とりわけ虐待されやすかった。罪によって生まれた彼らは、聖職者たちや相続による恩恵が与えられなかった。ウィリアム・ブレークは19世紀に、「若い売春婦の悪態が生まれたばかりの子どもの涙を厳しく批難する」ゆえに嘆き悲しんだ。中世の初めでは、カトリックの司祭の子どもとプロテスタントの監督だけが結婚を許され、お金を払うことでローマ教皇の正当な特免を受けることができた。司祭の聖職位剥奪および夫婦の不仲は、私生児の遺棄や嬰児殺しを引き起こした。教会は、母親の身元を隠すための保護的な施設であった。だから、名誉を傷つけられた多くの母親たちが自分の子どもの命を救うのを援助しようとしていた。近年だけでも、いくつかの非嫡出による汚名の緩和が米国で認められている。

遺棄と嬰児殺し

乳幼児の遺棄と嬰児殺しは、非常に長い間ずっと、死にいたる児童虐待の一般的な形式として続いていた。通常、風雨にさらされた子どもたちが助けられる可能性はあるだろう。しかしほとんど例外なく、乳幼児の遺棄は死をもたらす結果となった。嬰児殺しは大目に見られていただけではなく、時には命令によって強制的に行われていた。虚弱か、早産、あるいは醜い幼児は、母親が見ていない間におそらく絞め殺されたであろう。ギリシア正教の信者は、多くの身体障害者たちが成人することを望まなかった。しかし信仰心のある身体障害者の障害は、彼らの所産として判断していた。そしてこのように、健康な新生児だけが生きることを認めていた。プラトンはこれを容認し、アリストテレスは身体障害の子どもたちを成人するまで育てることを禁止する法律を推奨した。ソラヌスでさえも、産婆たちにそれぞれの子どもが生まれたときに調べるよう命じ、育てるのに適さない子どもはどんな子でも処分した。新生児に対するイメージは、愛玩用の動物よりも良くはなかった。異常な子どもを殺すという親の特権は、19世紀になるまでヨーロッパのいくつかの国の民族の間で続いていた。女児はとりわけ危険にさらされていた。彼女らが、兄や弟と平等な権利を持つことは一度もなく、また兄や弟よりもはるかに殺され、売り物にされ、あるいは捨てられていただろう。キリスト教の宣教師の影響を受けて、中国では1654年、幼女たちを溺死させることを禁じた。しかし法律による処罰では、何世紀もの間じゅう、嬰児殺しや遺棄、あるいは子どもの売買を撲滅させることは決してできなかった。
 知恵遅れの子はまた、つらい運命にあった。気の狂った人たちは、人々に悪魔の恐ろしさを教え込んだ。白痴は、サタンに取りつかれた魂である取替え子(さらった子の代わりに妖精たちが残す醜い子)であり、また多くの愚か者は、悪魔によって不能にされた者たちであるとされていた。
 東洋ではハーレム向けの宦官を作り出すために、また西洋ではめめしい体や少年たちの美しい歌声を保つために行われていた去勢は、17世紀の中国では禁止されていた身体の切除方式であった。古代ローマ皇帝たちは、去勢された男子たちを顔をしかめてみていたにもかかわらず、この虐待は、去勢された人たちが教会で歌を歌わないように禁止した、ローマ教皇クレメント14世の時代まで、西洋で存続した。
 古代イギリスの検死官は、およそ1194年の昔に子どもが虐待されているさまざまな風習について記録し、およそ1519年の早い時期に、人類の法案がそのようなことをほのめかしている。イギリスの9535の葬式の中で、1623年の調書では、”ナースによって7人の窒息させられ、そして餓死させられた”、明らかな児童が列挙されている。それらの火あぶりにされ、やけどさせられ、あるいは溺死させられた世代は、生きられなかった。1788年から1829年までの記録では、水いっぱいの穴、貯水池、井戸、池、そして水いっぱいの窪地でさえも、乳児たちは溺死させられていたことが、リストにされていた。選ぶこととは、望まれない子猫、子犬、そして望まれない乳児を処分するという人為的選択である。トイレは、別の気に入られる処分の場であった。

児童労働

児童労働、その師弟制度の下で、感化院で、孤児院で、組織的労働もまた同様に、子どもたちを残酷に扱った。中世のギルドたちは、同情することはなく、自由競争による価値の低い労働を防ぎ、子どもの仕事を統制した。1562年の職人の法律は、管理統制することでの師弟を掌握することや、7年間の契約書による彼らの主人たちに縛られる子どもたちや、1815年までずっと続いた、奴隷にするという、この体制を与えた。17世紀、6歳の子どもたちは、衣料品産業できびしく働かされた。つまり、工場の子どもたちへの厳しい要求は、産業革命以降、突然現れ、18世紀初期に極端な搾取を促進させた。
 製造所の保護がない子どもたちは、19世紀の間中ずっと、児童労働の法律の改革が着手されるまで、情け容赦なくむちで打たれ、こきつかわれた。子どもたちは24歳まで、師弟にするために群れをなして、アメリカの植民地へ輸送された。貧しい子どもたちは見習い期間に私設救貧院によって売られ、そして残虐に扱われた。植民地の新聞はしきりに逃走した子どもたちに関する広告を出した。先の1866年には、マサチューセッツ州の立法府の報告書が、児童労働を社会の一つの利益として認めた。1891年の児童労働について書かれた法律では、アメリカの小児科学の父であるエイブラハム・ジャコビが、煙突掃除人と同様に、鉱山内でのほんの小さな子どもの雇用に反対を叫んでいる。彼は、費用がかからない児童労働が、公立の救貧院による貪欲な組織的労働を補充していることを非難している。働いている子どもは、田園地帯ではなおさらに虐げられていた。
 煙突掃除人は、とりわけ惨めな状態であった。それらの浮浪児は、鼻やのどが詰まって呼吸が困難なすすの煙道、狭い部分をよじ登るために、小さくやせた体型を意図的に維持した。ウィリアム・ブレークは、彼らをイギリスの不名誉だといった。「雪にまみれた幼い真っ黒な子どもが、ワーン、ワーン泣いているんだ。」胸部打診法の本として医学史で有名なアウエンブルッガーは、1781年に煙突掃除人のオペラの台本をウィーンで書き、3年後に彼は、貧乏な人々のための人道主義の仕事で、爵位を授かった。

性的虐待

虐待された子どもに対する関心は、次に性的に虐待された子どもたちについての関心へと移る。歴史的に見ると、子どもたちに対する性的な暴力は、ごくありふれたものであった。思春期に純潔を奪うさまざまな儀式や結婚の準備は、ひどく肉体を傷つける場合もあった。けれどもそれらの儀式は、必ずしも満足させられるものではなく、彼らはしばしば公然と強要された。もっとも賢明で教養ある人々は、ときどきとてもみだらで野蛮な衝動のために間違いを犯す。
 いくつかの文化では、娘だけでなく妻さえも、もてなしの行為として泊り客らに貸し出されていた。私たちは、アイルランドの英雄に関する物語の中に、フランスの中世の文献の中に、そして北アメリカの未開の部族やエスキモーの中に、このことを見出すことができる。どこでも、性的な慣わしのために少女たちを賃貸しすることは、もともと恥ずべきことではなかった。つまり子どもは、需要のある商品だった。肉体的に発達した、魅力的な10歳あるいは12歳の若者は、売春婦になる傾向がある。仕事のない若い少女たちは、とりわけ性的に発達すると、たびたび自ら進んで報酬を得ようとして従順になった。折に触れて両親は、彼女らに売春することを熱心に勧めた。若い女性の保護に関するロンドン協会は、11歳未満の子どもたちが売春宿に閉じ込められていると記録している。彼らは、”使いならされる”まで、逃げることを許されなかった。彼らは、一度教え込まされると、雇い主のもとから離れられることは、ほとんどなかった。アンブロアーズ・タルデューは,同じ子どもに繰り返し行われた性犯罪の60事例に関する調査の中で、29人の少女が10歳以下であり、また60人の全ては目立ってよく発育していたことを発見した。アルバート・モルは、定期的に性交して、9歳の時には妊娠していた8歳の子どもと、8歳のときに妊娠した同様のほかの子どもを見つけた。若い子供たちの性衝動の無意識的な目覚めは、セックスに熱中させ、また早まったセックスは、性的なリビドーを目覚めさせることになることを、彼は力説した。
 ある国では、1897年の子どもたちへの性犯罪に対する有罪判決が3,085件あり、1904年には4,378件であった。1839年、パリ警察の警察部長は、子どもへの性的虐待に関する、年一回の判決主意書の全部の章に専念していた。
 12歳あるいは14歳と同じくらいの年の少年たちは、売春宿へしばしば通っていたので、1527年、ウルムの町は、売春宿の経営者に彼らを締め出すよう命じた。1848年、フランスでは、子どもたちは性的な不法行為だけでなく、道徳的な理由のために劇場のステージに登場させることが、法律的に禁止されていた。

男 色

 男色、文字通り「少年愛」は、少年に対する性倒錯を表す。今世紀初頭にモル博士は、多くの同性愛者が男子小・中学生と密接な関係を結んでいるということを知って、ひどく驚いた。この悪行は、古代ローマでは、詩人のマルティアリスが、売春宿の主人の手管から子どもたちを守っている皇帝の法律を賞賛して、売春しないように演説するほど非常にありふれたものであり、彼のエピグラム(短い風刺詩)の一つには次のようにある。「売春宿の主人は 食い物にするために 私たちのゆりかごを奪い取り/恥ずべき報酬を得るために 幼い子どもたちに暴行した/その光景に激怒した ローマの偉大なる父親が/哀れな子どもたちを それらの途方もない状態から助け出すまで ずっと」。ギリシアでは、男色は嫌悪を生じさせ、罰せられたが、ローマ人は禁じる法律を無視して、存続させていた。それは、みだらで狂気の皇帝、カリグラの統治の間じゅうずっと、とりわけ恥ずかしいほどに真実だった。
 性的な処置の怠りは、しばしば子どもたちを性病にさせた。性病は、子どもとの性的な交わりによる転移で治るかもしれないという、迷信があった。結果は、想像よりも簡単だった。多くの時代で、性的虐待は、淋病や梅毒が子どもから発見された後で、ようやく明るみに出た。放浪する浮浪児と、学校の子どもたちとの歪んだ性的な振る舞いは、発見されたときに非常な恐怖をもたらした。ときどき、これらの子どもたちは、お互いに感染させた。

自 慰

 看護婦は、子どもを楽にするために、刺激に過敏な子どもの性器をなだめることが、習慣とされていた。多くは、彼女らが彼女ら自身の性欲を刺激するために、子ども自身をなだめていた。S.A.ティソのオナニーに関する本は、19世紀、医学的な思想に影響を及ぼし、また広範囲にわたる一般の読者層を恐れさせた。そしてその本は、レズビアンとして、子どもたちに内密に教える女の奉公人について、両親に警告した。「農耕をする、このような種類の人の中には、両性愛者の庭師がいる」と、彼は警告した。性的不能な男性や、あるいはそうかもしれないと心配する男性は、ときどき自分の性的な能力を子どもで試したくなった。しばしば彼らは、実際の性交の代わりに、少女と淫らな関係を持った。マスターベーション、オナニー、セルフ・アビューズ(自慰)、あるいはセルフ・ポリューション(自慰)は、不純で下劣だと見なされ、考えられる限りのあらゆる堕落ということで非難されていた。

性的暴力

 レイプは過去の奔放な時代において、特に戦争時代においては、ありふれたものであった。それは、ギリシャやローマの歴史書と同じくらいによくバイブルの中にも見ることができ、歴史上に記録される暴力事件の、顕著な役割を務めていた。ヘラクレスは、セスティウスの50人の娘たちを強姦した。またある言い伝えによれば、トロイのヘレンはテーセウスから7歳のときに陵辱されている。別の言い伝えでは、それは12歳のときであった。
 むち打ちは、性的虐待のありふれた形態だった。あるサディスト的な6歳の幼女は、7歳の少年を虐待していた。彼は漠然とした憤りを持ちながらも、むち打ちの苦痛に耐えていたが、その痛みは、苦痛を伴う喜びという一つのスリルを彼に与えていたので、彼はぶたれたいと思っていた。官能的な感覚は、魅惑的な若者たちに、故意にむち打ちすることをそそのかし、仕向ける能力を持っていた。
 19世紀の新聞には、サディストたちの性的な欲望を満足させるための、常道をはずれた特有な方法で虐待された、忌まわしい子どもたちの記事が載っている。それらの性的に拷問する人たちは、子どもたちを手に入れるために、秘密を知る人には意味がわかる暗号化された言葉を使って、新聞に広告を載せている。ドイツの法律は、ようやくわいせつ目的のための広告掲載をやめさせた。14歳以下の人との性的関係が法定強姦罪となったとき、両方の当事者が未成年による、同意した相手であった場合に、困難な状況が生じた。

近親相姦

 近親相姦は、レイプには暴力を必要とするという点で、レイプとは異なっている。近親相姦の発生率は算出することができない、というのは、近親相姦はいつでもひそかに起きているからである。数字の割合は、100万人の人口につき、1人~5000人まで変動する。530人の女子大生に対するある研究では、45人(8.5%)が家庭内の人との性行動を経験してきたことが明らかになった。それにも関わらず、これまでに近親相姦の交際関係について、ほとんど知られることはなかった。アメリカ愛護協会は1969年に、少なくとも父娘間の近親相姦の5000例を含めて、200000~300000人の少女たちがアメリカ国内で、毎年乱暴されていると推定した。隠すことは、同族結婚的な家族の特徴である。言い換えれば、近親相姦は大部分は、性的虐待や妊娠や性病の結果として家庭外へと表出する。
 人類学的、歴史学的に見ると、父と娘、母と息子、あるいは兄と妹との性的結合は、稀なことではなかったが、それは通常忌み嫌われた。ジャスティニアンの法則では、両親に近親相姦によって妊娠した子どもたちを育てることを命じなかった。この国の一夫多妻のモルモン教徒は、1892年に禁止されるまで、近親婚を行っていた。
 近親相姦はタブーであったため、とりわけ子どもを困惑させていた。そのタブーはしばしば、養子縁組、里子の養育、乳兄弟(すなわち、彼らは同じ女性によって父を飲まされていた)、そしてその他の血縁関係によく似た親密な関係に至るまで広がっていた。それが一般的な同居人にまで広がったとき、子どもたちは家庭や学校において淑女ぶるように引き離された。5歳から10歳の間の時期に、一部の原始人たちは彼らの母親と姉に対して、息子や兄弟との関係を終わらせた。同一世帯の子どもの間に性的な自由が存在する場合でさえも、不道徳な結婚は厳格に禁じられていた。父親と息子の近親相姦は、さらなるタブーであった。
 なぜ、近親相姦がタブーであるのかということについては、人類学者によって多くの理論が論議されてきた。タブーは主として、道徳上や宗教に関する理由であったけれども、族外婚は家族の協調を保ち、家族内と社会との関係をよりよく維持する傾向があった。道徳律は、精神的な忍耐を課し、また遺伝上の優位を確実なものにし、親族間の近親交配は遺伝的な特徴を強めているという、一般的な考えに一致していると思われていた。近親相姦を行う母親たちはとても若かったので、子どもの間で病気になりやすかったり、死亡することが多かった。それが健康的であるという主張は、まったくなかった。

子どもの権利と前進

 子どもに対する尊重が現れたのは、非常に遅かった。中世の時代までずっと、子ども時代は子どもが離乳させられるとすぐに、ほとんど通り過ぎてしまっていた。古代イスラエル王国民の間では、離乳は3歳のときに行われた。つまり、幼い少年が男性たちと一緒に神の家に入室できたときからであり、また13歳の思春期のときをもって、少年は1人の大人の男性とみなされた。中世の子どもたちは、子どものしつけとして、7歳までには自宅から遠方に送り出されていた。つまり、この習慣は結局、師弟制度という結果を生み出していた。イギリス人を通じて、この習慣は子どもに対して、愛情不足になることを示していると、イタリア人は考えていた。13世紀では、子どもたちは芸術作品の中に登場し始め、さまざまな子ども時代の魅力と共に、生き生きと描かれていた。16世紀までには、非嫡出の孤児として不当に取り扱われていたエラスムス自身や、寛大な父親によって養育されたモンテーニュのような男性の著した倫理学が、子どもたちを養育するための暴力を用いない方法を採用して、多くの人々の愛情を目覚めさせ、虐げられたり、ハンディキャップのある子どもに対する特別の配慮を自覚させるに至った。それらの倫理は、17世紀とそれ以降に引き継がれ、少なくとも6人の消された非嫡出子たちの父親役を務めていた自由主義思想家、ルソーのような人々に影響を及ぼした。彼は人道主義者になる前、「子どもの義務については少なく語り、権利については多く語りなさい」と説いている。
 17世紀には、共同体から家族の集団への変遷があり、社会は子どもたちの魅力へ、より深くわくわくさせられた。子どもはだんだんと家族内の名誉の地位を獲得し、家族は独立した地位を獲得した。一歩一歩、子どもはますますかわいがられるようになった。19世紀、リチャードソンの小説「パメラ」は、児童虐待に対抗して、19世紀のスコットの「ミドロージアンの精神」にあったように、はっきりと話した。ビクトル・ユーゴーの「コゼット」では、「レ・ミゼラブル」の家庭内で働く人として虐待されている里子が、そしてディケンズのビクトリア時代の心情的な小説の全ての、ほとんどの若い人たちは、子どもたちの人道的な扱いをかき立て、奮起させた。
 1871年までに、ニューヨーク州国務省医療協会は、保護施設を見つけるための支援の決議案の中で、すべての新生児が保護され支援されるべきであるという権利を、人類は認めるということをはっきりと話している。
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- 2014/04/09(Wed) -
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虐待被害は犯罪被害とは違うのか?
- 2014/01/22(Wed) -
こんにちは。寒さ険しくなってきましたね。
先日、全国犯罪被害者の会あすの会)に、児童虐待防止法施行前と後での被害者では、法的な立場が違うという趣旨のことを伝え、どのように捉えたらよいのかと尋ねてみました。
防止法施行前だと「民事事件」となりますが、施工後だと「刑事事件」扱いとなる、児童虐待防止法です。同じ扱いを受けながらも、この法律の施行前と後では社会での扱いや受け止められ方も異なるとなれば、私たち被害当事者としてはどのように受け止めればよいのか、以前から疑問があったのです。それで、施工後であれば虐待被害者も「犯罪被害者の一人」にはなるのだろうと思ったので、先の会に連絡をしました。

そうしたら、「私たちは凶悪犯罪の被害者・被害遺族を対象としているので、児童虐待は犯罪被害とは捉えていない」との趣旨の回答でした。
たしかに、児童虐待にも軽い重いがあるでしょうから、凶悪かどうか判断が分かれると思います。
ただ一つ、大きな疑問を持ちました。

親に殺された被害児童の無念は、いったい誰が代弁するのだろう
被害児童はこの世を去り、加害親は満足している。無言で表面化しないから、事はハッピーエンドだと担当者は言いたかったんでしょうか。
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しんかへようこそ
- 2014/01/21(Tue) -
子ども虐待被害当事者社会参加推進団体 しんか』 へようこそ!

2010. 7. 5日の立ち上げ準備室開設以来、子ども虐待被害当事者の方からのご連絡をお待ちしております(2010. 9. 11日をもちまして、立ち上げ準備室から「~団体」に移行しました)。
お蔭さまで会員数・ご支援さまの数は増えております。しかしながら、当面の目標はまだ会員数を増やすことです。
今後もさまざまな場所から当事者活動および啓発活動を続けていきます。

<しんかについてのご紹介>
  ― 『しんか』の名前について ―
「被害者として、一人の人間として、後退も停滞もしたくない。常に前へと変わり続けていたい」。『しんか』はそんな想いを込めつつ、ダーウィンの進化論の系統樹のイメージを基にして名付けられました。
私たち被害者は、多様な在り方を常に否定され、「要らない子」「有害な子」という一面的な存在価値を絶えず与えられてきました。しかし本来の私たちの在り方とは、実は多様性を持つ自由で柔軟な在り方です。自らの存在価値を与えるのは他者であり自己ではありません。物事と人は絶えず変化し続けています。その中でこそ私たちは、自らの存在価値を互いに再認識し、内在する多様な在り方に従って自ら回復していくことができるのです。そのような立ち位置で『しんか』は進化し、社会によって深化していく、森のような豊かな多様性を持った場へと発展していきたい。そう願っています。
  ― 『しんか』とは ―
「しんか」は、子ども虐待被害当事者が主体となって、当事者福祉のために活動している当事者団体です。子ども虐待被害当事者が、より自分らしく生き、そして自己実現を図るために、当事者による支援員が当事者に対して支援・相談活動等を提供し、社会で孤立する当事者への居場所提供活動を行い、また当事者の声を集めて社会に発信することを目的に活動しています。
  ― 『しんか』はこんな活動をしています ―
「しんか」は、子ども虐待被害当事者の声を社会に伝えるために、ブログサイトを運営しています。今後は、講演会などでのお話やイベントを開くことを通じて、当事者の声の普及啓発活動を行う予定です。また当事者による話し合いなどを基に会報を発行しています。
「しんか」では、次の活動を行うことを目標にしています。
    ① 居場所提供活動
    ② 回復した当事者による当事者への相談・支援活動
    ③ 当事者の声の普及啓発活動
  ― 当事者が中心となって活動しています ―
活動は、子ども虐待被害当事者が中心となって行っています。
  ― 会員について ―
「しんか」は会員制の団体です。一般会員と賛助会員があります。一般会員は役員として「しんか」で当事者活動を行ってみたいお方になってもらっています。賛助会員は、資金面から支援したい個人・団体と、活動面から支援したい個人・団体にお願いしております。
「しんか」では、「しんか」と共に歩んでくださる一般会員と賛助会員を募集しています。
  ― おわりに ―
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。これからも「しんか」をよろしくお願いいたします。


※大変恐れ入りますが、現在相談・支援体制が整っておりませんので、ご相談などをお受けすることは出来かねます。ご了承ください。

最終更新日:2011.3.3
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虐待に関する集会で発表させていただきました♪
- 2013/12/30(Mon) -
お久しぶりです! 高橋です。
諸事情により、会の活動を休止しておりましたが、久しぶりに当事者活動を行ったという報告を受けましたので、ご報告したいと思います。

先日、会員のSさんによるご自身の体験発表会が開かれたようです。レジュメを作成したとのことで、それを頂くことができましたので、アップさせて頂きます。

Fさんのお話を聞く会/青年のつどい1/5
Fさんのお話を聞く会/青年のつどい2/5
Fさんのお話を聞く会/青年のつどい3/5
Fさんのお話を聞く会/青年のつどい4/5
Fさんのお話を聞く会/青年のつどい5/5

Sさん、発表の場を与えてくださった皆さん、ご支援頂いている方々、本当にありがとうございます。
今後とも、細く長くこの活動を続けていきたいと思います。
また、この活動の熱烈ファンになってくださっているMさん、嬉しいです♪ いつも応援ありがとうです^^

では、よいお年をお迎えください^^

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お誕生おめでとう
- 2011/07/08(Fri) -
お久しぶりです^^ 高橋のぞみです。

先日、友人Nちゃんが元気な赤ちゃんを無事産みましたw
Nちゃん、本当におめでとう!! 元気にすくすく育ちますように願ってやみません。

震災があり、なんと多くの規模の、命の困難があり、その影響によるさまざまな生きづらさが派生し、今は夏の電力問題が浮上しています。
震災遺児の規模の多さにただただ圧倒され、自然の脅威の大きさの下に生かされている私たちは、どのようにこんな時生きていけばいいのかと考えさせられます。

だけど、それらの憂慮さえも払しょくしてくれる幼い命の産声に、私はどれだけ励まされていることでしょう!!
どれだけ希望と勇気をそこから与えられているでしょう!

全ての困難も不幸も災厄さえも、ただ生きている、その命が希望を与えてくれます。そして同時にまた、その命を守り育みたい、そのような子どもたちに生きやすい環境を残していきたい。そんな想いが私の根底を突き動かします。

大人はおろかなのかもしれない。けれども子どもたちを見て、希望を見つけ、共に生きようとしている。そんな大人も確かに実在するのよと、誰かに伝えてみたい。

そんな想いで今日も頑張ってみます^^

お誕生、本当におめでとう。こんにちは、赤ちゃん。この世へようこそ^^
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新宿救護センターを訪問しました
- 2011/04/25(Mon) -
皆さん、こんにちは。
しんかの、高橋のぞみです(*^_^*)

余震の不安の続く中、先日友人のNちゃんと一緒に「新宿救護センター」へ行ってきました^^
西武新宿線「西部新宿駅」を降りて数分の所にあります。

隣は日本きっての歓楽街、歌舞伎町とあって、人通りも多く、独特な雰囲気を持つ街です。
天気も良い中、Nちゃんと二人で人ごみの中、歩いてみますと・・・ありました!! 柔らかな黄緑の入り口に「」とあります!

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女性には重めの鉄製扉を開くと、スタッフのサムイ姿の斎藤さんが笑顔で出迎えてくださいました!!
落ち着いた雰囲気の「コミュニティ・カフェ玄」は、何人かのボランティアさんも集まって、まったりとした雰囲気^^ 和テイストを基調にした店内に、優しい午後の日が差し込みます♪
各々、飲み物を注文して、斎藤さんから丁寧な活動のご説明を受けました。

新宿救護センターさんのご活動は、大変幅が広く、あらゆる難問題に取り組まれていました。
その難問題に取り組まれている玄さんをはじめ、スタッフの方々の心意気に胸打たれました>< 本当に玄さんは、自らの命を賭けて取り組まれているご活動なのだなと改めて感じました。
そして、学べば学ぶほどに、このような取り組みとご活動が、今の日本にとってどれだけ大切であるかを知りました。

こんな生きること、生かすことに熱血なお方が一人でも日本にいるなら、日本もまだ捨てたものじゃない。そう感じられる玄さんでした。

百聞は一見に如かずで、ここがなぜ通称「駆け込み寺」と呼ばれているかは、実際に訪れてみると理解できます。
本当に切羽詰まった時の、ここは最後の砦であり、そして人生のチャンスを与えてくれる場所でもあります。ただし、一歩を踏み出す勇気と小さな行動を持つならば。

玄さんは本当にご活動で多忙なお方なのですが、ぜひこの活動の意義をさらに多くの方々に知ってもらい、そして多くの被害を受けた子どもたちと、被害を受けたまま成人された方たちのお心に、玄さんの想いが届きますように。
美味しい飲み物と共に、勇気と元気をたくさん頂いて後にしたカフェでした。

新宿救護センターの玄さんおよびスタッフ・ボランティアの皆さま、ありがとうございます。
そして今回の訪問のきっかけ作りをしてくれたNちゃん、本当にありがとう(^^)/
また一緒に行きましょうね!!

***

新宿救護センターさんのウェブマガにて、高橋の訪問エッセイをご紹介頂きました。
http://gennavi.npo-kake.com/guest.php?catid=2
機会がありましたら、ご高覧頂ければ幸いです。
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ありがとう
- 2011/04/05(Tue) -
皆さん、こんにちは。

災害は長期化しています。
かつてない災害がもたらした影響を知るにつけ、あまりの甚大さに言葉を失うばかりです。
被災により、どれだけの尊い命が失われてしまったのか。大自然の猛威は時として信じたくない現実を突きつけます。

今回の被災により、親や身寄りを失ってしまった子どもたちが気がかりです。
震災遺児の調査がようやく始まりました。いったいどれだけの数に上るのでしょうか。
一刻も早い遺児たちの保護がなされることを願わずにいられません。

衣食住・教育だけに留まらず、PTSDを抱える子どもたちへの手厚く継続的な精神的ケアも行われることを願います。
いずれ社会に飛び立つ子どもたちが、少しでも穏やかな心持ちで過ごせるように、周囲の大人たちへ配慮をしてくださることを信じています。

***

ありがとう
虐待により傷ついていた私に、養い親が最初に教えてくれたこと。それが、「ありがとうを言うこと」でした。
「生きていてくれてありがとう」
「今日一日ありがとう」
「いつもありがとう」
今ではたくさんの「ありがとう」が自然にこぼれるようになり、そうして自然な笑顔も取り戻せています。

どうか多くの遺児たちの間にも、「ありがとう」という言葉が増えますように。

***

震災以来、震災前とはガラリと生活が変わり、もう随分と長い時間が経過してしまったような錯覚に陥ります。
写真は、震災前にお会いしたNさんから頂いた、幸運を呼ぶ子豚のストラップです^^
Nさん、ありがとうございます。またお会いしましょう。

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共に話し合おう
- 2011/03/21(Mon) -
あまた多くいる虐待による被害者たちへ。
あなたは自らの過去に背を向け、向き合いたくないかもしれない。もしくは、無かったことにしてしまいたいかもしれない。それよりは、笑って毎日過ごしていたいかもしれない。

しかし私は提案する。
共に話し合おうよと。

現実から逃避すれば、心の片隅に記憶を追いやることができる。
それどころではないよと思う人も多いだろう。話すような状態でもないよと。
話せば苦しくなるだけだと考える人も多いだろう。
それを私は全く否定しない。

しかし、相手の話を聞き、そして自ら発言し、考える行為によってのみ、あなたの苦しみは皆で共有できるようになる。
共有する相手が増えたとき、あなたの孤独は軽減する。
共有する相手がいると思えたとき、あなたはいくばくかの安心感を手に入れる。
自分以外のいかなる他の被害者、被害とは無縁の第三者との交流が、唯一あなたの心の闇に射す一筋の光となれる。

あなたにはそれを起こすだけの力が有る。よって、あなたの存在無力では無く、「有力」なのだ。

当事者にしか分からないことがある。当事者以外できないこともある。
だから共に話し合おう。
不器用で口下手で、無力な私に存在価値を与えられるのは、他でもないあなた自身です。
そして、あなたの存在価値を与えられるのも、私を含めた他者です。

共に語ろう。共に語ろう。語ったその先の未来は明るく輝く。
私はそうやってマンガの奥にあるものと語りあってきた。そうしてマンガは私に価値を与えてきた。だから今度はそれを外の人に向かってやってみたい。

対象と向き合うこと。一つのことを極めること。それが自らの再生へ導く。
私の場合はその対象がたまたまマンガであった。それだけだ。
私はマンガを極めたい。それは、虐待被害の体験と表裏一体の事柄だった。
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録音機のラジオ機能について
- 2011/03/16(Wed) -
しんかの高橋です。

大変な事態が起きています。今回の災害により、被災された皆さま、強い不安や不便を強いられている方々を思うと非常に胸が痛みます。今回の被災による被災者の皆さまにお見舞い申し上げます。

こちら新潟でも輪番停電が実施されます。
日本全国でさまざまな物資が不足しているようです。
食品からはじめ、トイレットペーパーや懐中電灯、ラジオなども全国的に品薄で、入手困難な方々も多くいらっしゃると思います。

そんな折、ふと気がついたのが、録音機のFMラジオ機能についてでした。
学校の授業や講演会などでの録音に使う録音機。持っていらっしゃるお方もいらっしゃるかと存じます。その中には、FMラジオ機能搭載型のものがあります。充電式のものもありますので、もしラジオの入手にご苦労されているお方で、お手元に録音機がありましたら、一度ご確認されてみてはいかがでしょうか。

些細な情報ですが、お役に立てれば幸いです。
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