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しんかへようこそ
- 2025/01/21(Tue) -
しんかでは、共に活動をしてくれる新潟の被害当事者の方を随時募集しています。
新潟の当事者の方はメールをいただくか、コメント欄にコメントをお願いします。




子ども虐待被害当事者社会参加推進団体 しんか』 へようこそ!

2010. 7. 5日の立ち上げ準備室開設以来、子ども虐待被害当事者の方からのご連絡をお待ちしております
当面の目標はまだ会員数を増やすことです。

<しんかについてのご紹介>
  ― 『しんか』の名前について ―
「被害者として、一人の人間として、後退も停滞もしたくない。常に前へと変わり続けていたい」。『しんか』はそんな想いを込めつつ、ダーウィンの進化論の系統樹のイメージを基にして名付けられました。
私たち被害者は、多様な在り方を常に否定され、「要らない子」「有害な子」という一面的な存在価値を絶えず与えられてきました。しかし本来の私たちの在り方とは、実は多様性を持つ自由で柔軟な在り方です。自らの存在価値を与えるのは他者であり自己ではありません。物事と人は絶えず変化し続けています。その中でこそ私たちは、自らの存在価値を互いに再認識し、内在する多様な在り方に従って自ら回復していくことができるのです。そのような立ち位置で『しんか』は進化し、社会によって深化していく、森のような豊かな多様性を持った場へと発展していきたい。そう願っています。
  ― 『しんか』とは ―
「しんか」は、子ども虐待被害当事者が主体となって、当事者福祉のために活動している当事者団体です。子ども虐待被害当事者が、より自分らしく生き、そして自己実現を図るために、当事者による支援員が当事者に対して支援・相談活動等を提供し、社会で孤立する当事者への居場所提供活動を行い、また当事者の声を集めて社会に発信することを目的に活動しています。
  ― 『しんか』はこんな活動をしています ―
「しんか」は、子ども虐待被害当事者の声を社会に伝えるために、ブログサイトを運営しています。今後は、講演会などでのお話やイベントを開くことを通じて、当事者の声の普及啓発活動を行う予定です。また当事者による話し合いなどを基に会報を発行しています。
「しんか」では、次の活動を行うことを目標にしています。
    ① 居場所提供活動
    ② 回復した当事者による当事者への相談・支援活動
    ③当事者の声の普及啓発活動
  ― 当事者が中心となって活動しています ―
活動は、子ども虐待被害当事者が中心となって行っています。
「しんか」では、「しんか」と共に歩んでくださる方を募集しています。
  ― おわりに ―
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。これからも「しんか」をよろしくお願いいたします。

最終更新日:2019.11.01
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会報が出来ました(*^▽^*)
- 2020/06/14(Sun) -
久しぶりに更新します(*^▽^*)
しんかの会報が出来上がりました。
本当に久しぶりです・・・(何年ぶりだろう?(;'∀'))
非常に濃い内容となっていると自負しておりますので、良かったら読んでくださいね^^
しんかろん第3号

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虐待サバイバー講演会を開催します!
- 2020/05/27(Wed) -
虐待サバイバー講演会を行います。
詳細は画像をご覧いただくか、以下をご覧ください。
日時:7/25 13~15時
場所:ZOOM

同じく被害当事者である羽馬千恵さんと、鈴木三千恵さんも一緒です^^
よろしかったらご参加ください。


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継父と解離性障害
- 2020/02/12(Wed) -
私には長いこと解離性同一性障害(多重人格)がありました。
とは言っても、私の場合、完全な記憶喪失というのはなく、ただ意識がぼんやりとしていました。

最初は小学4年生の頃からひどい白昼夢に襲われるようになりました。
ちょうど母と離され、転校した頃のことです。
学校の行き帰りに記憶が途切れ、気が付くと家に着いていたり、気づくと学校に着いていたりしました。
当時はなぜそんなことが起きるのか分からず、瞬間移動ができる便利な特技だくらいにしか感じてはいなかったのです。

それがひどくなると、誰かがしゃべっている最中にもぼんやりしてきて、気が付くと話が終わっていたりしたものです。
何度も人から
「人の話聞いているの?」
と聞き返されたりしたものです。
当時はそれが「解離」だということは気づきませんでした。

中二の頃、祖母が急死しました。
その頃から、淋しかった私の頭の中で人の声が聞こえるようになったのです。
「君は誰だ? ぼくはゆうだ」
そうして理性をつかさどる「ゆう」という男の子が現れました。

そして短期間のうちに、百合という女の子やローラという女の子、フィリップ、おねえさん、おにいさんなどといった、実にさまざまな人たちが現れたのです。
彼らはみな、孤独だった私を助けるためにやってきたようでした。
そうして私はしばしば、ぼんやりするようになったのです。
今思うと、それが「解離」という状態だったのです。

そのままの状態で、私は継父と出会いました。
継父と暮らし始めてからしばらくして、いろんな人格が継父の目の前に現れるようになりました。
継父は、解離性障害についての予備知識も専門知識も何も持ち合わせてはいなかったのですが、継父は科学者でした。
地質を研究し、唯物論哲学を長年研究してきた人で、まず目の前で起こっている事実を冷静に観察してくれたのでした。
そうして私の中で何が起きているのかをじっくりとよく考えてくれたのです。

そうして意外にも、継父は私の解離という状態をあっさりと受け入れてくれたのです。
継父は言います。
「ひどい虐待に対応するために、解離が起き、他の人格が現れたと考えるのが自然なことではなかろうか」。

そうして継父は、次々と現れる交代人格たちといたって普通に話をし、誠実に接してくれたのです。
特に、幼児人格のユリ(百合子)とはとても親しくなり、「じぃじ」、「ユリッペ」とまで呼び合う仲になりました。
継父のこうした誠実な対応がなかったら、私の解離性同一性障害は落ち着かなかったと思います。

いま、私には解離が起きていないです。
他の人格たちも出てこなくなりました。
それだけ落ち着いた環境にいて、落ち着いた状態にあるということでしょう。
落ち着いた環境下で適切な対応がなされれば、自然と症状は寛解していくようです。
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後遺症と障害年金
- 2020/01/20(Mon) -
私は虐待の後遺症として精神障害があり、障害年金をもらっています。
現在2級で、うつ病とアスペルガー症候群で申請が通りました。

うつがひどかった30代半ば、私は自分でお風呂にも入れず、入浴介助を受けていました。
入浴介助とは、介護保険でお年寄りが利用するサービスの一つで、入浴にまつわるすべてのことをしてもらうというものですが、障害者も利用します。
そして私も利用していました。
他にも、家事援助(片付け、掃除)も利用していました。
多いときで週2回くらい、ヘルパーさんに来てもらっていて、入浴介助を受けたり、部屋を片してもらっては掃除もしてもらいました。

私の場合、申請の時には社会保険労務士(社労士)の先生にお願いして申請をしました。
お金はかかりますが、何も分からない私にとっては、確実に年金申請を通すためには必要なことでした。
おかげで申請が通りました。
遡及(そきゅう)請求も通り、かなりまとまった額のお金をいただくことができました。

経済的に安定したおかげなのか、私のうつはその後劇的に良くなりました。
順調に回復し、パートタイムで週25時間働けるようになりました。
その流れで週35時間働くことができるようになったのですが、この頃から次の更新時に申請が通るのかどうかがすごく心配になってきました。
なぜなら、フルタイマーとして働いていたので、「症状は治まり、回復の度合いから見ても完治した」と判断されると感じたからです。
そして私はどんどんナーバスになっていったのです。

次の申請は通らない。
そう思い込み、不安になり、うつになり、安定剤と抗うつ薬を飲み続ける日々が続きました。
症状は悪化していました。
更新の手続きは、非常に長い時間がかかり、3か月以上待たされました。
その間、私の心は穏やかではなかったのです。
しかし結果は意外なものでした。

更新の申請が通ったのです。
フルタイム(障害者雇用・パートタイム)で働いていても、更新の申請は却下されなかったのです。
私は驚き、しばらく事態が呑み込めませんでした。
そのくらい驚いたのです。

これでまた、治療を続けながら安心して働くことができます。
この記事が、障害年金やその更新について心配している方に届きますよう願っています。
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市議会議員の方々にお会いしてきました。
- 2020/01/01(Wed) -
あけましておめでとうございます。

もう昨年になりますが、12月27日に、新潟市の共産党市議団の方々にお会いしてきました!
平あや子議員の他にも、いがらし完二議員、飯塚孝子議員、わたなべ有子議員にもお会いでき、虐待サバイバー問題について1時間みっちりとお話させていただきました。
皆さん、真剣に話を聞いてくださり、たくさんの質問をしていただきました。

でも一つ、大きな誤解をされていました。
後に頂いたメールでは、
「養護施設を出てからの支援の必要性について深く共感いたしました。」
とあり、あくまで対象者が児童養護施設出身に限られた問題であるとの認識をされていました。


問題は、施設に入所された子どものことではなく、施設にさえ入れなかった子どものことなのです。
つまり、児童虐待防止法施行以前である1999年以前に被害を受けた子どもたちの救済なのです。
大勢の被害を受けた元子どもがおります。
そういう現大人の現在の苦しみを救済するための支援法の制定が必要なのです。
そこを勘違いして理解されていらっしゃったことが残念です。

しかし、ここで話をしても無駄だと思い、諦めてしまうのは時期尚早だと思います。
たかが1時間、1回お会いしてお話しただけなのです。
虐待のギャの字も知らない一般の方向けにお話をしたのですから、理解に時間はかかると思うのです。
大切なことは「対話」です。
「対話を続ける」ということが大切なのです。
これは対話を基礎として発展してきた「弁証法」にも通ずる考え方です。


大事なことは、共産党議員団の方が虐待問題に興味を示し、それを「理解しようとしている」ことです。
この歩み寄りがあれば、時間はかかっても互いの立場を理解していけると思うのです。

かつて、継父も私のことを理解できないでいました。
けれども継父は誰よりも私を理解しようとしてくれました。
そして私たちは徹底的に対話を続けたのです。
そうして互いが互いを理解していく中に、関係性の発展があったのです。
絆は深まり、より深く互いを信頼するようになりました。

このようなプロセスがなかったならば、私は回復できていなかったし、一人孤独な世界に存在していたと思います。
そのような私の孤独な心の扉を唯一開けたのが、継父でした。
そういった意味では大変感謝をしています。

私たちのそうした経験に裏打ちされているからこそ、私は共産党議員団の方々との互いの理解のプロセスを踏んでいくことができるし、互いに理解することを「待つことができる」と思っています。
今後、また2回、3回とお会いしていく中において、理解が深まっていくことを期待しています(*^▽^*)
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新潟市議会議員さんとお会いすることになりました!
- 2019/12/18(Wed) -
この度、新潟市の平 あや子市議会議員をはじめとする、共産党市議団の方たちとお話をさせていただくことになりました!
12/27日 13:30~ にお会いします。


以下の要望書を持参してお話しに行きます。

「条例に係る要望書

児童虐待防止法が2000年に施行されて以来、虐待を受けた子どもは保護されるようになってきました。これは児童福祉の目覚ましい発展であり、子どもへの人権意識の芽生えでもありました。これにより、子どもへの虐待は見過ごされることなく、発見され、保護につながるようになったのです。
しかし保護したから終わりではありません。保護された子どもはみなPTSD(心的外傷後ストレス障害)や複雑性PTSD を抱えています。行政が子どもを保護した後も、適切なケアがされていれば、このような後遺症も少しは軽減するはずです。しかし保護した子どもに対し、適切なケアを行政が行うような法制度は今のところありません。
心の傷が癒えないまま大人になった子どもたち。そのような状態で、20歳を過ぎれば、児童養護施設に保護されていた子どもはみな強制的に退所させられます。全く回復していない子どもも、まだ回復途中の子どももみな、一様に退所させられます。そしてその後のケアは全くなされていないのが現状です。このような状態で退所させられた子どもたちはいったいいま、どのように生きていると思いますか。

また虐待被害児は別の問題も抱えています。保護された子どもの多くはネグレクトを受けています。ネグレクトは育児放棄とも言われていますが、具体的に何を放棄されたと思いますか。ネグレクトは食事を与えないだけではありません。たとえば、家庭でのしつけや教育も教わることができずにきたのです。比較的小さい子どもであれば、保護されてから児童養護施設において、いろいろと家庭教育を教わることもできたかもしれません。しかし比較的高齢の子どもが保護された場合、それを教わる時間が十分に取れないことがあります。
たとえば、風呂に入る習慣が全くない子どもがいます。虐待環境で風呂に入るのを禁止された子どもは、清潔にすることの気持ちよさを感じずにいます。また、衣類を身に着ける習慣のない子どももいます。衣類を取り上げられて生きてきた子どもは、常に裸のままでいるのです。このような人間として基本的な習慣は、生まれつき持っているものではなく、後天的に学習して習得してきたものです。それは「教わらなければ、身につけることのできないもの」なのです。私がそうでした。
虐待被害児を保護したとしても、満足に児童養護施設で暮らせなかった子どもは、このような習慣をどうやって自ら身につければよいのでしょうか。

他にも別の問題もあります。児童虐待防止法が施行されたのは2000年ですが、虐待は2000年以後に起きた現象ではなく、2000年以前にも数多くありました。虐待被害児が本格的に保護されるようになったのは2000年以降ですが、2000年以前に虐待被害を受けた子どもはいま、どんな大人となり、どんな人生を送っていると思いますか。
子どもの頃に保護もされず、そのまま大人になると、心の傷は癒えないまま大人になります。本来、親から愛されることで獲得する基本的信頼感も欠如したまま大人になります。そうした状態で大人になった時、一人で回復することは容易ではなく、また大抵が回復できずに大人になってもずっと苦しいままでいます。
治療をするにも、保険が適用されずに100%自費のカウンセリングを、長期間受け続けなければなりません。加害者である虐待親から経済的支援や慰謝料を受け取れるわけではなく、何もかも自分で支払わなければなりません。
大人になった虐待被害者は、自らのPTSDや複雑性PTSDの治療のために継続的な就労もままならない状態のまま、貧困、または生活保護を受けて暮らすことが大変多いのです。

虐待を受けて大人となった虐待サバイバーを支援するための法整備が全くないことが、このような問題の根本にはあります。
一般の人は、虐待被害に抱くイメージにおいて、「虐待環境から逃れたのなら、もう大丈夫だ」という思い込みが根強くあると思います。しかし、本当は「虐待環境から逃れたら、回復という次のステップが待っている」のです。そしてその「回復」という過程は、途方もなく困難でお金と時間のかかるものなのです。

一般の人が抱く、「虐待環境から逃れたのなら、もう大丈夫だ」という思い込みは、虐待被害の新たな側面を映し出しています。すなわち、「虐待の2次的被害」です。
最初にあった虐待被害が「1次的被害」であるなら、回復期における周囲の無理解・差別・偏見といった被害は2つ目の被害、すなわち「2次的被害」と見ることができるでしょう。
周囲の無理解とは、同居の家族だけではなく、精神科医やカウンセラーにも見られることです。今の精神医療界においては、まだPTSDや複雑性PTSDは一般的な病ではありません。当然、精神科医もPTSDや複雑性PTSDを抱える患者を診ることができません。このような状況から、まず、虐待被害者がPTSDや複雑性PTSDを抱えるものだということを、精神科医が認識し、正しく診断できるようになる必要があります。
このように、精神科医ですら虐待被害者がPTSDや複雑性PTSDを抱えるものだということを認識できていない状況というのも、虐待の2次的被害だということができるでしょう。
せっかく虐待被害から逃れたのに、周囲の無理解・差別・偏見から被害者が孤立し、苦しむような現状は、直ちに改善する必要があります。

上述してきたように、虐待被害者を取り巻く現状には、大変多くの課題が山積しております。ではこのような問題を解決するためにはどうしたらよいのでしょうか。
そこで、私は次のことを提案したいと思うのです。すなわち、大人となった虐待被害者に対する法制度を制定すること、です。
具体的には、法制度には次の内容を盛り込むこと。
すなわち、
① 虐待被害者が受けるカウンセリング料金の無償化、もしくは保険適用とする
② 経済的支援(就労支援や障害年金を受けとれるようにする)

③ 住居の保障(虐待サバイバーには頼れる人がなく、保証人を立てるのが難しい)
④ 虐待被害や後遺障害について診断・治療できる精神科医の育成
⑤ 大人になった虐待サバイバーが集える居場所作り
⑥ 当事者相談員の配置
⑦ 被虐待経験者専門の育児支援(虐待サバイバーによる世代間連鎖の防止のため)


以上のことを要望します。
そしてもし新潟市で上述した内容を含む条例を制定するチャンスがあるのであれば、ぜひ実現させていただきたく、お願い申し上げます。」

今から非常に楽しみです。
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子どもがいないなら・・・
- 2019/12/13(Fri) -
私には子どもがいない。
別に持ちたくなかったわけではなく、むしろ強く希望していた。
しかし、結婚しても夫側に精神的な問題があり、子どもを望むことは叶わなかった。

子どもを持てなかったことに対し、すごく苦しい時期があった。
今でもまだ苦しいが、43となり、もう自分の子どもを望むことはできない年となり、諦めがついてきた。
今に至るまでは非常につらい時間を過ごした。
今でもまだ、里子だったらと考えてしまう。
しかし、いまパートナーもなく、経済的な余裕もない中では、里子だとて望むことはできない。
私にはこのように、生涯子どもと疎遠な暮らしを続けていくのだろう。
それは大変に淋しいことであった。

生涯独り身・子どもなしという人生を歩むとき、それがどんなに孤独で殺伐としたものなのかを知った。
安らぎだとか満足感だとか、充足感を得られる人生ではない。
「これで良かった」と想い、目を細めることもない。
それは淋しい世界だ。
子どもを持つ人の写真を見たとき、私がどんなに寂しく、心痛んだかを誰一人として知る者はいない。
それは自分ひとりで自己完結する世界に身を置いた者にしか体験できない心境だった。

しかし、子どもを持つ人には持てない自由と時間とお金があった。
子どもがいないから身軽で、自由になる時間があり、子どもに投資するでもないお金がある。
それは私が生きてきた中で獲得した、ささやかなぜいたくだった。
それらを用いて、私は虐待被害当事者のための活動に身をささげることができる。
子どものいる人よりもずっと、濃く、十二分に身を投じることができる。

それに気がついたとき、私は身震いがした。
私はこのために生きてきたんだ、信じた道を歩んできたんだ。
そう思った。
子どものいる人には決してたどり着けない境地にようやくたどり着いた。
私は当事者活動を通じて、世界中の、古今東西にいる被害を受けた子どもたちのただ中に存在している。
子どもたちと共に在り、共に生きる運命共同体となったのだ。
それは親子の情に通じる世界なのかもしれない。

私の中の血潮がたぎり、熱い情熱に動かされ、もう孤独ではないよというメッセージを送ることができる。
そんな開かれた世界に身を置けることとなった。
そんな世界が来ようとは信じられなかった。
今までの孤独が嘘のように去り、共同体の中で生きるという新たな価値観が生み出された。
私はその中に置いて、「福祉の人」となり、かつてあれほど望んでいた福祉という世界に身を投じることができる。
それは夢のような世界だった。

いま、私は母校である東北福祉大学の門を再び叩こうとしている。
やがて来るだろう虐待サバイバー向けの当事者相談員にふさわしい肩書として、精神保健福祉士を受験しようとしているのだ。
まだまだ時間はたっぷりある。
ぜいたくに悩むとしよう^^
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仮)虐待被害当事者支援法の適用範囲
- 2019/12/09(Mon) -
私も会員として参加する「大人の未来」では、仮)虐待被害当事者支援法の制定を目指している。
これは、当団体「しんか」でも同じことだ。
目指す方向が一緒なので、私はこの法律の制定を「大人の未来」で一緒になって実現しようと頑張っている。

しかし不安材料もある。
例えば、虐待被害当事者支援法ができたとして、その時、どこまでを虐待被害者とするのかという「範囲」の問題である。

例えば、以下のような範囲が考えられる。
     ①複雑性PTSDと精神科医から診断された患者のみ
     ②児童虐待防止法施行後(2000年)に行政によって介入・保護された被虐待児童のみ
     ③「大人の未来」に所属しているメンバーのみ
     ④虐待があったことを伺わせる客観的証拠がある者のみ

上述のどれが該当となったとしても、必ず「認定されずにこぼれ落ちる者」が存在するようになる。
そうした該当者になってしまった者はどうなってしまうのだろう。

しかし、何らかの被害当事者活動をしてきた者たちの歴史を見てみると、残念ながら、上述した4つのいずかに対象が絞られてしまい、認定されない者たちが出てきてしまっている現実がある。
例えば、水俣病では、未だに認定を巡って裁判が起こされている。

どうも行政は、自己申告したからといって、被害があったと認定してくれるものではなく、何らかの客観的な証拠を求めるもののようである。
それが虐待被害でいえば、精神科医の診断書であったりする。
それ以外にも何かしらの客観的な証拠を要求するだろう。

また、虐待被害を示す定義の「範囲」もある。
どこまでの程度の被害を虐待の被害者と認めるのかといった問題である。

これも被害当事者によって、軽いから重いまで千差万別だと思うが、行政が法律で支援するにあたり、どこまでを虐待被害と認めるのかを明確に線引きするであろう。
この線引きも非常に難しくなると思うが、行政から「軽いからあなたの被害は虐待ではない」と判定されてしまえば、当事者本人が「虐待被害当事者だ」といくら言っても通用しなくなるだろう。

このように、法制化を巡っては課題はたくさんあり、法制化を目指すには、当事者たちもそれぞれが勉強し、互いに議論を深めることで、これらの問題をどうすればよいのかを考えていく必要がある。
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理想論と理論
- 2019/12/08(Sun) -
今日は野党系の鍋パーティが新潟であり、参加してきた。
最初に数人のグループ分けをしてから鍋を囲み、自己紹介をしながら食事をした後に、各グループごとにテーマに沿って議論を深めた。
「政治に興味のない人向けに政治の話をするにはどうしたらよいのか」といった議題があり、互いに意見を交わした。
普段では味わえない、充実した議論ができたように感じている。

隣のグループだったのだが、市議会議員の平 あや子さんも参加されていたので、勇気を出して声をかえてみた。
アスペルガーを持つ私にとっては、対人接触は苦手で緊張したのだが、平さんは笑顔で接してくださり、助かった。

                * * *

この日の夜、私はいろいろと考えた。
虐待のこと、虐待サバイバーのこと、これからのこと。
そう簡単ではない、仮)虐待被害当事者援護法の制定についても思いを巡らした。

「誰が法律制定に向けて真剣になって取り組んでくれるのか」、そして「誰が法律を作るのか」、「その道のりは?」
たくさんの疑問符が頭をよぎった。
誰かに相談をしたかったが、これらの疑問にストレートに回答を下してくれそうな人は思いつかなかった。

最近、話題のれいわ新選組がある。
ある動画があった。
ある虐待サバイバーの方が、虐待サバイバーの窮状について真剣に訴えていた。
それについて、れいわ新選組の議員さんも真剣になって応えていた。

その動画に関して、ネット上では沸いていた。
「よくやった」、「質問者さんもよく質問した」というような歓喜に満ちたコメントが並んだ。
私もそう思うが、素直に喜べない側面もあった。
虐待サバイバーが自ら議員に質問したこと、そしてそれに応えてくれたことは一つの進歩なのかもしれない。
だが、れいわ新選組の議員さんは、聴衆を喜ばすことは言っていても、具体的な政策・方策については言及しないのだ。
そしてベースとなる思想については、何ら説明がない。

いったい彼らは何を学んで、このような思想を身に着けたのか。
どの思想に基づいて行動し、そしてどのような政策を実行しようとしているのか。
彼らの言動は、ただの人を喜ばすリップサービスではないのか。


波に乗り、飛ぶ鳥を落とす勢いのれいわ新選組だが、政権を取って何を本当にしたいのか、明確な政策が示されていない。
例えば、消費税を廃止するなら、どの法令を直し、どういう手順を踏んで廃止まで持ち込むのか。
具体的に何を国民に求めているのか。
具体案が欲しいのだ。

別の政党では、思想的基礎をきちんと理論で示す政党もある。
その政党が万能だとは思わないが、理想論ではなく、理論できちんと説明できる基礎を持っているなら、私も安心してそういう政党には政策や立案も任せたいと思えるだろう。
「有言実行」が、政治にとってもっとも基礎となることだと思うからこそ、理想論を述べるだけではなく、それを具現化するための具体的な方策についても注文をしたいところなのである。
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